バーンスタインの目

バーンスタインの目

 タングルウッド音楽祭の初日は、小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏で幕をあけた。
楽屋を訪れた私たちを「やあ、よく来たね」と気さくに迎い入れてくれる。なんといっても小澤氏は桐朋の大先輩。
「今年は暑いね。でもここに来ないと夏って気がしないんだ」。
毎夏訪れるタングルウッドは、彼にとってもリラックスできる古巣のような場所である。

 翌朝は、私たち奨学生によるオーケストラとの初練習。会場にあらわれた彼は昨日と別人のよう。つかつかと指揮台に歩み寄ると、学生の間にもサッと緊張が走る。眼光鋭く全員を見渡すと、さっと手を振り上げ、曲が始まった。
 小澤氏をはじめ偉大な指揮者は独自の存在感を醸しだしている。最近ちまたで「カリスマ」という言葉をよく耳にするが、まさにそのカリスマ性がなければ指揮者は務まらない。団員をやる気にさせるのも,ダレさせるのも、指揮者に集中力にかかっている。

 さて、私が参加したこの年は、タングルウッド音楽祭50周年アニバーサリーということで、バーンスタインとの演奏会、そして音楽祭終了後は、彼とのヨーロッパ・ツアーというおまけがついていた。
 練習初日。皆の緊張感でびりびりと音がしそうなくらい静まり返った会場に、ゆっくりとバーンスタインは現れた。全員を見渡すその目で見られると、体全部の中身まで見透かされそうである。

誤解を恐れずに言えば、彼は強烈なセックスアピールを発散していて、特別な存在感があった。彼自身の実力と実績が、まさにカリスマとしてのオーラを彼にあたえていた。
 そして、彼ほど舞台の上で魅力的になる人もそうはいない。大げさに言えば、彼のために「死んでもいい!!」とこちらの気分を高揚させ、自分の実力以上のものを引き出してくれる。
演奏会は彼自身の音楽へのエクスタシーで満ち満ちており、団員も、聴衆も、そのエネルギーに酔うのであった。

 非常に残念なことに、彼の体調不良のため、ツアーはキャンセルになった。彼が亡くなったのは、わずかその三週間後であった。
 私は留学先を探すため、音楽祭終了後、そのままドイツへ向かうことになった。

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当教室では体験レッスンを行っております。初心者にはバイオリンの基礎から丁寧に教えます。楽器をお持ちで無ければ、こちらで年齢に合わせた大きさのものを用意しますので手ぶらでいらして下さい。バイオリンの音色を一緒に楽しみましょう。
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タングルウッド音楽祭

大学卒業後の夏、私はアメリカでタングルウッド音楽祭に参加する機会を得た。

この音楽祭は、数ある音楽祭のなかでも大規模なもので、二ヶ月以上にわたって続く。

世界中から若い音楽家がオーディションによって選ばれ、奨学生になり、連日オーケストラと室内楽の練習に明け暮れる。

合間には一流の講師陣によるレッスン、週末にはコンサート出演、と参加者は息をつく間もない。

有名なアーティストも数多くやってくる。

私の参加した年には、バーンスタイン、小澤征爾、ヨー・ヨー・マ、パールマン。

ざっと挙げただけでも超一流の顔触れで、彼らを目当てに全米中から聴衆が集まってくるのだ。

 アメリカの印象は、とにかく広い、大きいということであろうか。行けども、行けども続く道、巨大なスーパーマーケット、ステーキも、ピザも巨大。

そしてアメリカ人はとにかくフレンドリーで、誰にでもハイ!!と笑顔で挨拶する。あまりにも常に笑顔で気さくなので、実際のところ何を考えているのか、分からない人もいた。

 先生と生徒の間もかなり日本とは雰囲気が違う。生徒が、先生に向かってハ~イ!!と呼びかけるのを見て、日本の大学を卒業したばかりの私は、たまげてしまった。

 しかしそこは競争社会のアメリカのこと。

例えば、演奏会後の打ち上げパーティなどには、プロデューサーや音楽業界の力ある人達が集まる。学生たちは皆、彼らにあいさつし、如才なく笑顔を浮かべ、自己アピールに余念がない。

日本ではコンクールに入賞したりすると、本人がぼんやりしていても周りが勝手に持ち上げてくれるが、そんなことはここでは通用しないんだ、と実感させられた。

 そして、アメリカの学生は、とにかく初見がよくできる。

変拍子も現代曲も頓着なく、初めて見た楽譜をどんどん弾いていく。かなりトレーニングするらしいが、初見で弾けて当たり前、という雰囲気が一番の要因である。

チャンスはいつ、どこで転がっているかわからない。その機会をとたえるためには、常に準備万端に整えておく。

アメリカ社会のシビアな一面を見た気がした。

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【随想①】江藤俊哉先生について

江藤俊哉先生は戦後初めて、国際的に活躍したヴァイオリニストである。

22歳の時に渡米、カーチス音楽院に入学。そのわずか四年後には同大学で教授として後進の指導に当たっている。その事から見ても彼の演奏家としての力量は世界トップクラスであった事が伺える。現在は指導者として、彼の手を経ていない日本のバイオリニストを数える方が難しいとされている。

私が仙台で師事していた寺師隆子先生が江藤門下だったため、私は自然に江藤先生の元にレッスンに通うようになった。先生のレッスンの最大の特徴は、生徒がやってきた分だけ、教えてくれるという事だ。つまり、十までやってきたら十一から、十五やってきたら十六から、決して自分で踏み込んでいって、四の生徒に十の事は教えない。

そういった意味ではかなりドライな先生であった。しかし、ある意味でこういった放任主義なところ(全部放任ではないのだが)、音楽的な趣味を押し付けないところが、私のようなつむじ曲がりにはピッタリだったようである。もう一つの特徴は、実際にソリストとして舞台に立った事がある人だけが知っている、豊富な経験から来る知識である。

「舞台で緊張して手が震えそうになったら、自分の心臓の音を聞いてごらん。その鼓動の早さよりも、少し遅めのテンポで弾きだしてみるといいの。そうすと落ち着くよ。」とか、「音楽で物語を作ってはだめ。暗いメロディから明るくなった所で、ここはハナコさんが涙を拭いて笑ったところ、なんてお話を作ったりしてはだめ。演奏家は音で考えなさい。」

一つ一つ挙げていったら、キリがないほどの、具体的なアドバイスは、実はわたくし自身、学生時代にはあまりピンときていなかった。実際に演奏家活動を始めてからやっと、「あ、江藤先生がおっしゃりたかった事は、こういう事なのか。」と、合点がいった事もしばしばである。

情けないことに、先生の教えが芽を出すまで、こんなにも時間がかかってしまったという事なのだ。しかし、それだけ息の長いアドバイスを下さった江藤先生は、やはり偉大な演奏家であると共に偉大な教師であると痛感する。

「留学したいんです」

なんのアテもなく、ただ目の前に立ちふさがる将来への不安を掻き消したい一心の私に「とにかく、あっちに行って生活してみること、暮らしてみることが大切です。」

いつもどおりの突き放したような、のんきな先生の言葉に背中を押され、私はドイツ留学の方法を探り始めたのだった。

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