【随想①】江藤俊哉先生について

【随想①】江藤俊哉先生について

江藤俊哉先生は戦後初めて、国際的に活躍したヴァイオリニストである。

22歳の時に渡米、カーチス音楽院に入学。そのわずか四年後には同大学で教授として後進の指導に当たっている。その事から見ても彼の演奏家としての力量は世界トップクラスであった事が伺える。現在は指導者として、彼の手を経ていない日本のバイオリニストを数える方が難しいとされている。

私が仙台で師事していた寺師隆子先生が江藤門下だったため、私は自然に江藤先生の元にレッスンに通うようになった。先生のレッスンの最大の特徴は、生徒がやってきた分だけ、教えてくれるという事だ。つまり、十までやってきたら十一から、十五やってきたら十六から、決して自分で踏み込んでいって、四の生徒に十の事は教えない。

そういった意味ではかなりドライな先生であった。しかし、ある意味でこういった放任主義なところ(全部放任ではないのだが)、音楽的な趣味を押し付けないところが、私のようなつむじ曲がりにはピッタリだったようである。もう一つの特徴は、実際にソリストとして舞台に立った事がある人だけが知っている、豊富な経験から来る知識である。

「舞台で緊張して手が震えそうになったら、自分の心臓の音を聞いてごらん。その鼓動の早さよりも、少し遅めのテンポで弾きだしてみるといいの。そうすと落ち着くよ。」とか、「音楽で物語を作ってはだめ。暗いメロディから明るくなった所で、ここはハナコさんが涙を拭いて笑ったところ、なんてお話を作ったりしてはだめ。演奏家は音で考えなさい。」

一つ一つ挙げていったら、キリがないほどの、具体的なアドバイスは、実はわたくし自身、学生時代にはあまりピンときていなかった。実際に演奏家活動を始めてからやっと、「あ、江藤先生がおっしゃりたかった事は、こういう事なのか。」と、合点がいった事もしばしばである。

情けないことに、先生の教えが芽を出すまで、こんなにも時間がかかってしまったという事なのだ。しかし、それだけ息の長いアドバイスを下さった江藤先生は、やはり偉大な演奏家であると共に偉大な教師であると痛感する。

「留学したいんです」

なんのアテもなく、ただ目の前に立ちふさがる将来への不安を掻き消したい一心の私に「とにかく、あっちに行って生活してみること、暮らしてみることが大切です。」

いつもどおりの突き放したような、のんきな先生の言葉に背中を押され、私はドイツ留学の方法を探り始めたのだった。

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